Journal
食器のこと2026.09.13

加藤民吉とは何をした人?九州から瀬戸へ磁器を伝えた磁祖とせともの祭

加藤民吉とは何をした人?九州から瀬戸へ磁器を伝えた磁祖とせともの祭

瀬戸のやきものを調べていくと、必ず出てくる名前があります。加藤民吉。「磁祖」と呼ばれ、毎年9月の「せともの祭」も、この人の遺徳をたたえる産業祭として始まりました。

ただ、何をした人なのかを一言で言える人は多くありません。瀬戸はもともと1000年近くやきものを焼いてきた土地です。そこに、江戸時代になってから何を持ち込んだのか。

結論から言うと、民吉が伝えたのは磁器(白いやきもの)をつくる技術です。それまで陶器の産地だった瀬戸が、「せともの」という言葉が食器全般を指すほどの一大産地になっていく転換点が、ここにあります。この記事では、瀬戸市文化振興財団(瀬戸染付工芸館)と愛知県、瀬戸市観光情報公式サイトが公開している資料をもとに整理します。

加藤民吉とは|瀬戸に磁器の製法を伝えた「磁祖」

加藤民吉は、江戸時代に磁器の製法を九州で学び、瀬戸に伝えた人物です。瀬戸市観光情報公式サイトは、せともの祭を「江戸時代に磁器の製法を九州で学び、瀬戸に伝えた磁祖加藤民吉翁の遺徳をたたえる産業祭」と説明しています。この祭りは昭和7年にはじまり、2026年で第95回を迎えます(出典:第95回 せともの祭|せと・まるっとミュージアム 瀬戸市観光情報公式サイト)。

「磁祖」という呼び方が示すのは、磁器の祖だということです。瀬戸には陶器のはじまりを伝える「陶祖」の話も別にあり、二つは別の人物・別の出来事を指します。瀬戸焼全体の成り立ちは 瀬戸焼とは にまとめています。

愛知県の解説では、瀬戸染付焼について19世紀初め、加藤民吉等が磁器の焼成技術を瀬戸の地で広めたことが起源とされていますと書かれています。「等」とある通り、民吉ひとりの功績として語りきれる話ではありませんが、その象徴として名前が残っている、という理解が正確です。

なぜ瀬戸に磁器が必要だったのか|有田に遅れること約200年

民吉の話を理解するには、当時の日本のやきものの状況を知っておく必要があります。

瀬戸染付工芸館の解説によれば、17世紀初めに九州・有田地方で磁器製造に成功し、やがて「伊万里焼」としてヨーロッパ向けに盛んに輸出されていきました。染付磁器そのものは、さらに古く14世紀前半の中国で製造されはじめています。

つまり、日本の磁器は九州で先に立ち上がっていました。そして瀬戸はというと、有田に遅れること約200年後の19世紀初めに磁器製造に成功した、とされています(出典:瀬戸染付とは|瀬戸染付工芸館・公益財団法人瀬戸市文化振興財団)。

200年は大きな差です。白くて薄い磁器が全国に流通するなかで、陶器の産地だった瀬戸が同じ土俵に立つには、技術そのものを持ってくる必要がありました。そこに民吉がいた、という順番です。陶器と磁器が何によって違うのかは 陶器と磁器の違い に書きました。

民吉が持ち帰ったもの|丸窯と柞灰

では、具体的に何が伝わったのか。ここは公的な資料にはっきり書かれています。

瀬戸染付工芸館の解説では、加藤民吉が九州から丸窯や柞灰の使用などを伝えたことで、瀬戸の磁器の生産技術は飛躍的に進歩し、以降は染付が中心となって瀬戸の発展を支えることとなったとされています。

伝わったもの

役割

丸窯

磁器を焼くための窯の形式

柞灰

釉薬の原料。磁器に使う透明釉に関わる

注目したいのは、持ち帰ったのが「デザイン」ではなく「窯と原料」だったことです。やきものは、絵柄を真似れば同じものができるわけではありません。どんな窯でどう焼くか、どんな灰を釉薬に使うかという、目に見えにくいところが品質を決めます。これは200年経ったいまも変わっていません。瀬戸の土の話は 木節粘土と蛙目粘土の違い にまとめています。

いま私たちが瀬戸・美濃で器を焼くときも、判断の中心にあるのは同じ問いです。実際の焼き上がりがどうなるかは、図面や画像では確かめきれません。CAFORAの器の手ざわりは サンプル で実物を確認できます。

瀬戸染付とは|藍色の下絵付けと「ねらし」

民吉が起点となった瀬戸染付焼は、その後どう育ったのか。

愛知県の解説では、絵師から絵付の指導を受け、南宋風の絵画を施す技術などが加わって急速に発展し、今日の瀬戸染付焼の基礎が確立されたとされています。技術的な特徴は次の2点です。

  • 藍色を基調とした色彩で、繊細な自然画や鳥、花などを筆で描く技術
  • 潤いを持った仕上がりにするため、本焼成時に「ねらし」を行い釉薬を熟成させること

瀬戸染付焼は、平成9年5月14日に国の伝統的工芸品として指定されています(出典:瀬戸染付焼|あいちの地場産業・愛知県)。

青の正体についても、瀬戸染付工芸館が説明しています。絵の具である呉須は、主成分は酸化コバルトで、他に鉄・マンガン・ニッケル・クロム等の金属を合わせることで、一括りに「青」とはいえ実に多様な色合いが作られます。

そして描き方は下絵付けです。素焼きの素地に下絵の具で描き、その後釉薬をかけて焼成すると、釉薬が透明に変化し下に描いた絵柄が鮮明に浮かび上がります。焼く順番で色数や耐久性がどう変わるかは 上絵付けと下絵付けの違い に整理しました。

加藤民吉が、いまのカフェの器に残しているもの

ここからは、器をつくる側としての話です。200年前の人の話が、今日の発注にどうつながるのか。

1. 「せともの」という言葉そのもの|瀬戸が磁器まで手がける総合産地になったことで、瀬戸の名前が食器全般の代名詞になりました。産地としての瀬戸と美濃の違いは 瀬戸焼と美濃焼の違いとは に書いています。

2. 藍色は、いまも実用的な色|下絵付けの藍色は、釉薬の下にあるため摩耗しません。毎日洗う業務用の器で、絵柄が消えていかないというのは大きな利点です。ロゴや柄を入れたい店は、この「釉薬の下か上か」が判断の分かれ目になります。

3. 技術は、外から持ってきて土地に合わせるもの|民吉が九州の窯と原料を持ち帰り、瀬戸の土と人に合わせて定着させたように、産地の技術は固定されたものではありません。私たちが3D陶器プリンターで試作し、瀬戸・美濃の工房で焼いているのも、同じ線の上にあると考えています。伝統を守るためではなく、新しい体験を生み出すために受け継ぐ、という立場です。

一方で、注意点も同じところにあります。染付の藍色は、焼き方と呉須の調合で色味が動きます。呉須は酸化コバルトに複数の金属を合わせてつくられるため、「青」と言っても幅があります。追加発注のときに前と同じ青が出るかは、発注前に窯元・メーカーへ確認してください。

よくある質問

Q. 加藤民吉は何をした人ですか 江戸時代に磁器の製法を九州で学び、瀬戸に伝えた人物です。そのため「磁祖」と呼ばれています。

Q. 「陶祖」と「磁祖」は同じ人ですか 違います。磁祖は加藤民吉で、磁器(白いやきもの)の技術を瀬戸に伝えた人です。陶祖は別の人物で、瀬戸の陶器のはじまりに関わる伝承です。

Q. 瀬戸で磁器がつくられるようになったのはいつですか 瀬戸染付工芸館の解説では、有田に遅れること約200年後の19世紀初めに磁器製造に成功したとされています。

Q. 瀬戸染付焼は国の伝統的工芸品ですか はい。愛知県の資料では、平成9年5月14日に指定されています。

Q. せともの祭と加藤民吉の関係は せともの祭は、磁祖・加藤民吉の遺徳をたたえる産業祭として昭和7年にはじまり、2026年で第95回になります。

まとめ

加藤民吉は、江戸時代に磁器の製法を九州で学び、瀬戸に伝えた「磁祖」です。九州から丸窯や柞灰の使用などを伝えたことで瀬戸の磁器の生産技術は飛躍的に進歩し、以降は染付が中心となって瀬戸の発展を支えました。

そこから育った瀬戸染付焼は、藍色を基調とした筆の絵付けと、本焼成時の「ねらし」に特徴があり、平成9年に国の伝統的工芸品に指定されています。

カフェの器として見るなら、押さえておきたいのは下絵付けの藍色は釉薬の下にあるので摩耗しないこと、そして青は呉須の調合と焼き方で色が動くことの2点です。磁祖が根づかせた瀬戸・美濃の磁器の技術のうえで、CAFORAはラテボウル 温 -ON- と 拡 -KAKU- を焼いています。

CAFORA