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食器のこと2026.10.14

招き猫の由来|寺社に伝わる諸説と、瀬戸・常滑で量産された歴史

招き猫の由来|寺社に伝わる諸説と、瀬戸・常滑で量産された歴史

招き猫は、いつ、どこで生まれたのか。店先で手招きする姿はあまりに身近ですが、由来を調べてみると、話は意外なほど一つにまとまりません。

先に要点を書きます。招き猫の由来には諸説があり、起源ははっきりしていません。愛好団体や産地の資料は、招き猫が江戸時代の後半に江戸で生まれたという点でおおむね一致しています。由来の話を伝える寺社もあり、世田谷の豪徳寺はその一つです。そして、招き猫が全国に広まったのは、明治の瀬戸と昭和の常滑で量産が始まってからです。

この記事では、日本招猫倶楽部、瀬戸市の招き猫ミュージアム、愛知県の観光公式サイト、とこなめ観光協会、豪徳寺の公式サイトをもとに、招き猫の由来を「伝わる話」と「量産の歴史」に分けて整理します。私たちCAFORAは、招き猫の産地でもある瀬戸と、隣の美濃で器を焼いています。

招き猫の由来:江戸時代の江戸で生まれたとされる

まず、招き猫がいつ生まれたかについて、資料の書き方を並べます。

資料

招き猫の誕生についての記述

日本招猫倶楽部

約180年前の江戸時代の江戸で、福を招く縁起物として誕生

招き猫ミュージアム(瀬戸市)

江戸時代末期に江戸の町で誕生

とこなめ観光協会

起源は定かではない。置物が最初に登場したのは19世紀半ばと考えられる

出典:招き猫Q&A|日本招猫倶楽部、招き猫ミュージアム、常滑系招き猫(観光庁 多言語解説文データベース/とこなめ観光協会)

三つの資料は、江戸時代の後半、19世紀の半ばごろに江戸でという線でそろっています。ただし、とこなめ観光協会が書くとおり、起源そのものは定かではありません。

とこなめ観光協会の解説は、背景として、ネズミなどの害獣を捕まえることから、昔から農家や商店主は猫を大切にしていたことを挙げています。作物や商品を守ってくれる猫が、やがて福を招く縁起物の姿になった。そう考えると、招き猫が農家や商店の縁起物として根づいた理由が見えてきます。

寺社に伝わる招き猫の由来の諸説

招き猫の由来として語られる話はいくつもあります。ここでは、寺社自身が公式サイトで説明している話と、公的な観光サイトが紹介している話だけを取り上げます。

豪徳寺(東京・世田谷):井伊直孝を招いた猫

豪徳寺は、公式サイトで次のような話を伝えています。ある日、鷹狩り帰りの殿様が寺の門前を通りかかり、門前にいた猫に手招きされて寺に立ち寄った。そのあと雷雨になり、殿様は雨を避けることができ、和尚の話も楽しんだ。この殿様が、彦根藩主の井伊直孝だったと伝えています。

寺はその後、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、祀るための招福殿を建てたとしています(出典:招き猫について|豪徳寺)。

豪徳寺の公式サイトによると、寺の歴史の主な節目は次のとおりです(出典:豪徳寺について|豪徳寺)。

  • 文明12年(1480年)|「弘徳院」として建立されたとされる
  • 寛永10年(1633年)|世田谷が彦根藩の所領となり、井伊家が江戸の菩提寺と定める
  • 万治2年(1659年)|井伊直孝の法号にちなみ、寺名を豪徳寺と改める
  • 昭和16年|招福殿が建立される

豪徳寺の招福猫児は、小判を持たず右手だけを上げているのが特徴です。寺は、招福猫児は「縁」を招くもので、福そのものを与えるわけではないという教えをその理由に挙げています。持ち物の意味は 招き猫の右手と左手の意味 とあわせて読むと、違いが分かりやすくなります。

浅草:老婆の夢に出てきた猫の話

愛知県の観光公式サイトは、招き猫ブームの始まりとして、浅草の話を紹介しています。

そもそものはじまりは、江戸時代の浅草で「老婆の夢に出てきた猫のお告げによって土焼きの置物を作ったところ良いことが続いた」という話から招き猫のブームが生まれたことにあります。

出典:Aichi Now(愛知県公式観光サイト)

ここで言う「土焼きの置物」が、のちに陶磁器の産地で量産される招き猫の先がけということになります。

このほかにも、招き猫の由来を伝えるとされる寺社はあります。ただ、今回はそれぞれの寺社の公式な説明を確認できなかったため、この記事では取り上げていません。招き猫の由来は一つの話に決められない、というのが現時点で言える一番確かなことです。

瀬戸・常滑で量産された招き猫の歴史

由来の話が江戸の寺社や町にあるのに対し、招き猫を全国に届く数でつくったのは、愛知県の二つの焼き物の産地です。

明治:瀬戸が磁器の招き猫を初めて量産

愛知県の観光公式サイトは、瀬戸を明治30年代に日本で最初に磁器による招き猫の量産を始めた町と紹介しています(出典:来る福招き猫まつり in 瀬戸|Aichi Now)。招き猫ミュージアムも、瀬戸を全国の陶磁器産地の中で一番最初に招き猫作りをはじめた地としています。

瀬戸の古い招き猫は、細身で前垂れを着けた「古瀬戸タイプ」です。招き猫ミュージアムは、このかたちを京都の伏見人形が原型とも言われますと書いています(出典:招き猫ミュージアム「招き猫作り100年のまち」)。原型については「とも言われる」という書き方で、断定はしていません。

招き猫ミュージアムは、招き猫をセト・ノベルティー生産の原点ともいえるもののひとつとしています。瀬戸の置物づくりの技術がのちに世界へ輸出される陶磁器人形を生んだ流れは 瀬戸ノベルティとは に、瀬戸焼そのものの歴史は 瀬戸焼とは にまとめています。

昭和:常滑が二頭身の招き猫で主産地に

常滑の招き猫は、瀬戸より後に始まりました。とこなめ観光協会の解説は、常滑で生産が始まったのは1930年代後半で、当時、伝統的な焼き物産業が衰えていたため、地元の職人が新しい仕事として置物をつくり始めたと書いています。そして1950年までに常滑市は日本の招き猫の主要生産地となり、二頭身に大きな目と耳の招き猫がつくられるようになりました(出典:とこなめ観光協会(観光庁 多言語解説文データベース))。

招き猫ミュージアムは、小判を抱えた二頭身の「常滑タイプ」について、昭和20年代後半に現在のモデルが完成したとしています。私たちが今「招き猫」と聞いて思い浮かべる顔は、この戦後の常滑で決まったかたちです。瀬戸系と常滑系の顔立ちの違いは 招き猫の瀬戸と常滑の違い で比べています。常滑の焼き物そのものは 常滑焼とは をご覧ください。

菊池俊治さんの招き猫「manekineko」(黒)

写真は、石川県で活動する作家・菊池俊治さんの招き猫「manekineko」の黒です。平成以降、招き猫ミュージアムが書くとおり実に多種多様な招き猫がつくられるようになり、現代の作家による招き猫も増えています。

招き猫の由来と歴史の年表

ここまでの話を、年代順に並べます。

年代

出来事

出典

1480年

豪徳寺の前身「弘徳院」が建立されたとされる

豪徳寺

1633年

井伊家が豪徳寺を江戸の菩提寺と定める

豪徳寺

1659年

井伊直孝の法号にちなみ、寺名を豪徳寺に改める

豪徳寺

19世紀半ば(江戸時代末期)

招き猫の置物が江戸で生まれたとされる

招き猫ミュージアム/とこなめ観光協会

明治30年代

瀬戸が日本で最初に磁器の招き猫を量産

Aichi Now

1930年代後半

常滑で招き猫の生産が始まる

とこなめ観光協会

昭和16年

豪徳寺に招福殿が建立される

豪徳寺

1950年まで

常滑が日本の招き猫の主要生産地になる

とこなめ観光協会

昭和20年代後半

小判を抱えた常滑タイプの現在のモデルが完成

招き猫ミュージアム

1995年

日本招猫倶楽部が9月29日を「招き猫の日」に制定

日本招猫倶楽部

豪徳寺の伝える話は江戸時代の初めの井伊直孝にさかのぼり、置物としての招き猫は江戸時代の終わりに生まれたとされています。由来の話と、置物が生まれた時期は、分けて考えるほうが整理しやすいということです。招き猫の日と各地の招き猫まつりについては 招き猫の日とは にまとめました。

器も招き猫も、産地の技術の積み重ねの上にあります。CAFORAは器を瀬戸と美濃で焼き、招き猫は石川で活動する菊池俊治さんの manekineko を取り扱っています。

よくある質問

Q. 招き猫の由来は何ですか 諸説あり、起源ははっきりしていません。日本招猫倶楽部は、約180年前の江戸時代の江戸で福を招く縁起物として誕生したと説明しています。

Q. 招き猫の発祥は豪徳寺ですか 豪徳寺は、井伊直孝が門前の猫に手招きされて寺に立ち寄ったという話を伝えています。ただ、招き猫の由来として語られる話はほかにもあり、発祥を一つに決めることはできません。

Q. 招き猫はいつから量産されるようになりましたか 瀬戸が明治30年代に日本で最初に磁器の招き猫を量産しました。常滑では1930年代後半に生産が始まり、1950年までに主要生産地になりました。

Q. 小判を持った招き猫はいつからありますか 招き猫ミュージアムは、小判を抱えた二頭身の常滑タイプについて、昭和20年代後半に現在のモデルが完成したとしています。

Q. なぜ猫が縁起物になったのですか とこなめ観光協会は、ネズミなどの害獣を捕まえることから、昔から農家や商店主が猫を大切にしていたことを背景に挙げています。

まとめ

招き猫の由来には諸説があり、起源ははっきりしていません。資料は、招き猫が江戸時代の後半に江戸で生まれたという点でおおむね一致しており、豪徳寺は井伊直孝を手招きした猫の話を伝えています。

全国に広まったのは、明治30年代の瀬戸での磁器の量産と、1930年代後半に始まった常滑の生産からです。小判を抱えたおなじみの姿は、昭和20年代後半の常滑で完成しました。

由来の先にある現代の招き猫として、菊池俊治さんの manekineko は、CAFORAで1体から購入できます。

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