美濃唐津とは|唐津を写した美濃の器の特徴と、元屋敷窯とのつながり
美濃焼の伝統的工芸品15品目のうち、よその産地の名前が付いているものが2つだけあります。美濃伊賀と、美濃唐津です。
先に要点を書きます。美濃唐津とは、織部の窯で焼かれた唐津風のやきものです。「唐津織部」とも呼ばれます。そして美濃唐津がおもしろいのは、器の見た目だけでなく、美濃という産地のつくり方そのものが、唐津から来た窯の技術で変わったという話につながっているところです。
この記事では、美濃焼伝統工芸品協同組合と岐阜県の記述をもとに、美濃唐津とは何か、唐津焼とどう違うのかを整理します。そのうえで、瀬戸と美濃で器を焼いている立場から、カフェの器として見るときの判断軸をお伝えします。
美濃唐津とは:織部の窯で焼かれた、唐津風のやきもの
美濃焼伝統工芸品協同組合は、美濃唐津をこう説明しています。
織部の窯で焼かれた唐津風のやきもののことをいう。美濃で最初の登り窯である久尻の元屋敷窯を築いた加藤景延が唐津で覚えてきて作ったものとも、唐津から同行してきた陶工が焼成したものともいわれているが定かではない。元屋敷窯のものは生地が赤味を帯びているのが特徴であり、高根東窯のものは生地が灰色である。作品としては、向付などの食器類が多い。唐津織部ともいう。
短い説明ですが、由来・窯・見分け方・器種が全部入っています。順に見ていきます。
まず注目したいのは、「定かではない」と書いてあることです。加藤景延が唐津で覚えて帰ったのか、唐津から一緒に来た陶工が焼いたのか——公式の説明が断定していません。この記事でも、そこは断定しないまま進めます。
美濃の様式全体の成り立ちは 美濃焼とは に、同じく「よその産地の名前が付いた」もう一つの様式は 美濃伊賀とは にまとめました。
元屋敷窯と加藤景延:美濃に初めて登り窯が来た
美濃唐津を理解するうえで外せないのが、元屋敷窯(もとやしきがま)です。岐阜県は、国史跡「元屋敷陶器窯跡」についてこう記しています。
この窯は慶長年間(1596から1615)、美濃陶祖加藤景延が九州唐津で学んで帰り、美濃地方で初めて築いた窯と伝えられる。
窯の規模も具体的です。
連房式登窯で全長24mにもおよぶ大窯である。
焼成室は14室で各室の幅は平均2.2m、奥行き55cmから1.3mと上へ登るにしたがって大きくなる。
24メートル・14室。これが、美濃で初めて築かれた登り窯の姿です。そして岐阜県は、この窯跡からの出土品をこう挙げています。
この窯跡からは「美濃桃山陶」のすぐれた特徴をもつ黒織部、美濃唐津、美濃伊賀、青織部などが出土し、織部の源流をなす代表的な窯とされる。
美濃唐津は、この窯から実際に出土しているわけです。「織部の窯で焼かれた」という組合の説明が、発掘の結果とそのまま重なります。窯の形が焼き上がりを変える仕組みは 登り窯と穴窯の違い にまとめました。
唐津焼から来たのは、様式ではなく「窯」だった
ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。
唐津焼の側の記録を見ると、佐賀県は文禄・慶長の役以降についてこう書いています。
文禄・慶長の役以降、朝鮮半島へ出陣した諸大名は、多くの朝鮮陶工を連れて帰国しました。
そして、そのとき入ってきた技術を「蹴ロクロ」と「連房式登り窯」とし、これによって唐津焼が大きく発展したとしています。佐賀県はこの戦役を「やきもの戦争」とも呼び、「日本の窯業界に多大な影響を与えた」と記しています。
つまり順番はこうです。
- 朝鮮半島から連房式登り窯の技術が唐津に入る
- 加藤景延が唐津で学んで美濃に持ち帰る(岐阜県の記述)
- 美濃で初めての登り窯=元屋敷窯が築かれる
- その窯から黒織部・青織部・美濃唐津・美濃伊賀が出る
美濃唐津という様式が単独で輸入されたのではありません。窯そのものが移ってきて、その窯で唐津風の器も焼かれた、という順番です。唐津焼そのものの成り立ちは 唐津焼とは に整理しています。
美濃の窯がこの時期に大きく変わったことは、産地としての性格にも表れています。瀬戸と美濃がどう分かれ、どう重なってきたかは 瀬戸焼と美濃焼の違いとは にまとめました。
見分け方:生地の色が窯で違う
組合の説明には、器そのものの見分け方も書かれています。
元屋敷窯のもの | 高根東窯のもの | |
|---|---|---|
生地の色 | 赤味を帯びている | 灰色 |
同じ「美濃唐津」でも、焼かれた窯によって生地の色が違う、ということです。土が違えば焼き上がりが違う——やきものが、産地というより窯ごとの産物であることがよく分かる記述です。
器種についても組合は「作品としては、向付などの食器類が多い」としています。ここは美濃伊賀との大きな違いです。美濃伊賀は花入や水指といった茶陶が中心ですが、美濃唐津には食器類が多い。カフェの器として考えるときには、この一点が効いてきます。
重さも口当たりも、写真では分かりません。 CAFORAの器も、サンプル で実際に手に取って確かめられます。
「よそで覚えて、自分の土で焼く」という美濃の性格
美濃唐津と美濃伊賀が並んでいることには、意味があります。桃山期の美濃は、志野・織部・黄瀬戸という独自の様式を生みながら、同時によそで人気のある器も自分たちの土と釉薬で再現していた産地でした。美濃の代表的な三様式は 織部焼・志野焼・黄瀬戸の違い にまとめています。
私たちCAFORAは、いま瀬戸と美濃で器を焼いています。3D陶器プリンターで試作を回し、試飲会でバリスタの反応を確かめ、形を直してまた焼く——というつくり方をしていますが、「よそで見た良さを、自分の条件で再現できるか」が毎回の論点になる点は、400年前と変わっていないように思います。
土が違えば同じ釉薬でも色が変わります。窯が違えば同じ土でも生地の色が変わる。組合が「元屋敷窯は赤味、高根東窯は灰色」と書き分けているのは、まさにそこです。白い化粧土で下の土の色を隠すという発想は 粉引とは にまとめました。
カフェの器として美濃唐津を見るときの判断軸
1. 食器類が多い様式であることを踏まえる 組合は「向付などの食器類が多い」としています。花入・水指が中心の美濃伊賀と違い、もともと食卓の器です。カフェで使うことと相性は悪くありません。
2. 生地の色に幅があることを知っておく 赤味の生地と灰色の生地では、同じ釉薬でも見え方が変わります。複数枚そろえるなら、同じつくり手・同じ土の製品でそろえるのが確実です。
3. 食洗機・電子レンジの可否は製品ごとに見る 様式の名前では決まりません。毎日洗う業務用なら、最優先の確認項目です。
4. 追加発注できるかを最初に聞く 作家ものが多い領域です。同じ土・同じ釉薬で買い足せるかを、最初に確認しておいてください。
よくある質問
Q. 美濃唐津とは何ですか 美濃焼伝統工芸品協同組合は「織部の窯で焼かれた唐津風のやきもののこと」と説明しています。美濃焼の伝統的工芸品15品目のひとつです。
Q. 美濃唐津は「唐津織部」とも呼ばれますか はい。同組合が「唐津織部ともいう」と記しています。
Q. 誰が美濃唐津をつくり始めたのですか 同組合は「元屋敷窯を築いた加藤景延が唐津で覚えてきて作ったものとも、唐津から同行してきた陶工が焼成したものともいわれているが定かではない」としています。断定されていません。
Q. 元屋敷窯とはどんな窯ですか 岐阜県によれば、慶長年間(1596から1615)に加藤景延が九州唐津で学んで帰り、美濃地方で初めて築いたと伝えられる窯です。「連房式登窯で全長24mにもおよぶ大窯」で、焼成室は14室あります。
Q. 美濃唐津と唐津焼はどう違いますか 産地が違います。唐津焼は佐賀県唐津市を中心につくられる陶器で、美濃唐津はその唐津風の器を美濃(岐阜県)で焼いたものです。組合は、美濃唐津の生地について「元屋敷窯のものは生地が赤味を帯びている」「高根東窯のものは生地が灰色」と書き分けています。
Q. 美濃唐津はカフェの業務用に使えますか 使えます。組合が「向付などの食器類が多い」としているとおり、もともと食器の様式です。ただし扱いの条件(食洗機・電子レンジ)と追加発注の可否は、様式名ではなく製品ごとに確認してください。
まとめ
美濃唐津とは、織部の窯で焼かれた唐津風のやきものです。「唐津織部」とも呼ばれ、美濃焼の伝統的工芸品15品目のひとつに数えられています。
背景にあるのは窯の移動です。朝鮮半島から唐津へ入った連房式登り窯の技術を、加藤景延が唐津で学んで持ち帰り、美濃で初めての登り窯=元屋敷窯を築いた(岐阜県)。その窯跡からは黒織部・青織部とともに美濃唐津が出土しています。
見分けるときは生地の色を見ます。組合によれば元屋敷窯のものは赤味、高根東窯のものは灰色。そして器種は向付などの食器類が多い——ここが、茶陶中心の美濃伊賀との違いです。
CAFORAは、瀬戸と美濃の技術のうえで、バリスタの理想から器を設計しています。同じ瀬戸・美濃の産地で焼いたラテボウル、両手で包む 温 -ON- と、ラテアートを広く見せる 拡 -KAKU- は、サンプル1点から手に取って確かめられます。

