登り窯と穴窯の違い|窯の形で変わる焼き上がりと美濃の窯の歴史
焼き物の産地を訪ねると、山の斜面に沿って階段のように続く窯を見ることがあります。これが「登り窯」です。一方、陶芸の話では「穴窯で焼いた器」という言い方もよく耳にします。
どちらも斜面を使う薪の窯ですが、違いは窯の部屋の数と、つくり方にあります。そしてこの違いは、焼き物の産地の歴史をそのまま映しています。
この記事では、辞典と、美濃焼の産地である土岐市・岐阜県の資料をもとに2つの窯を整理し、美濃で窯がどう変わってきたかをたどります。
登り窯と穴窯の違い|単室か、連なる部屋か
まず定義を並べます。
穴窯(窖窯) | 登り窯(連房式登窯) | |
|---|---|---|
つくり | 傾斜地の地面に穴を掘り抜いて築く | 傾斜地に焼成室を階段状に連ねて築く |
部屋の数 | 焚口から煙出しまでひとつながりの単室 | 焼成室が数室から十数室連なる |
日本での使用 | 須恵器・瓦などを焼いた古い窯 | 桃山時代の16世紀に唐津焼で初めて築かれた |
穴窯は「窖窯(あながま)」とも書きます。ブリタニカ国際大百科事典は、傾斜地の地面に穴を掘抜いて構築した窯とし、焼成室は急な登りで30度に及ぶものもあるとしています。須恵器の窯については、世界大百科事典(旧版)が焚口から煙出しまで原則としてひとつながりのトンネル状と説明しています。
登り窯について、日本大百科全書は穴窯を登窯の原始形態で単室の窯と位置づけ、狭い意味では連房式登窯だけを登窯と呼ぶとしています。構造は、焚口・胴木間・灰間に続いて第一焼成室、第二焼成室と続き、数室から、大きいものでは十数室。日本では桃山時代の16世紀に、朝鮮半島渡来の技術を生かして唐津焼に初めて築かれたとされています。
部屋が連なると何が変わるのか|熱の使い方
部屋を連ねる最大の理由は、熱の使い方です。改訂新版 世界大百科事典は、登り窯について、下部の間の排熱により上部の間が予熱されるため熱効率がよく、また傾斜地を利用しているため燃焼がよいと説明しています。
下の部屋を焼いた熱が、そのまま上の部屋を温める。部屋ごとに焚き進めるので、ひとつの大きな空間を一度に焼くより、熱を無駄にしにくい構造です。同じ燃料で焼ける器の量を増やしやすい、というのが私たちの理解です。
一方、穴窯はひとつの空間を焚き続ける窯です。薪の灰が器に降りかかり、炎の当たり方も場所によって大きく違います。こうした窯の中の変化は、器の色や表情の差として出ます。窯の中の酸素の量で色が変わる仕組みは 還元焼成と酸化焼成の違い にまとめています。
美濃の窯の歴史|大窯から連房式登窯へ
美濃焼の産地では、窯の形がどう変わったのでしょうか。美濃焼伝統工芸品協同組合は、次のように説明しています。
時代 | 美濃の窯と焼き物 |
|---|---|
平安〜室町時代 | 須恵器・灰釉の器、鎌倉・室町時代には山茶碗・古瀬戸・灰釉と鉄釉 |
室町時代後期(1500年頃) | 「大窯(おおがま)」と呼ばれる単室の窯が築かれる |
桃山時代以降 | 山の斜面を利用した連房式登窯が登場し、新しいやきものの製造が可能に |
須恵器を焼いた窯が穴窯だったことは、上の辞典の説明のとおりです。美濃では、その後に大窯という単室の窯の時代があり、桃山時代に部屋が連なる登り窯へ移っていきました。同じ中世の瀬戸で焼かれた施釉陶器については 古瀬戸とは に書いています。
元屋敷陶器窯跡に残る、大窯と登り窯
この移り変わりを一か所で見られるのが、土岐市の国指定史跡「元屋敷陶器窯跡」です。ここでは大窯3基と連房式登窯1基が見つかっています。
土岐市の解説によれば、大窯の元屋敷東1号窯は16世紀後半に築かれ、天目茶碗、灰釉皿、すり鉢などを生産しました。東2号窯では瀬戸黒・黄瀬戸・灰志野が、東3号窯では志野の量産が行われています。
そして連房式登窯は、全長約24.7メートル、焼成室14房。黒織部・青織部・志野織部などの織部製品が焼かれ、九州の唐津から導入されたと考えられています。岐阜県の解説では、慶長年間(1596〜1615)に美濃陶祖・加藤景延が唐津で学んで帰り、美濃地方で初めて築いた窯と伝えられるとしています。
出典:国指定史跡「元屋敷陶器窯跡」|土岐市/元屋敷陶器窯跡|岐阜県
単室の大窯で天目や志野が焼かれ、登り窯の導入とともに織部が量産される。窯の形の変化と、器の様式の変化が重なっているのが分かります。大窯で焼かれた天目茶碗の話は 天目茶碗とは に、美濃の様式の全体像は 美濃焼とは にまとめています。
窯の形の話が、いまの器選びにつながるところ
ここからは器をつくる側の話です。
1. 窯が変わると、揃えやすさが変わる|窯の形は「同じ器をどれだけ揃えて焼けるか」に直結します。いまはガス窯や電気窯など、窯の中の条件を揃えやすい窯も使われています。
2. 薪の窯の器は、表情を楽しむ器|穴窯や登り窯で焼いた器は、灰や炎の当たり方で一客ごとに表情が違います。作家ものの一客として迎えるなら、それが魅力になります。
3. 揃いで使う器は、焼き方を確認する|カフェで同じ器を並べるなら、どの窯で、どう焼くかを聞いておくと、追加発注で色が揃わないという事態を避けられます。
私たちは3D陶器プリンターで試作を回し、瀬戸・美濃の工房で焼いています。窯の形を変えながら器づくりを続けてきた産地の、その延長にいると考えています。焼き上がりの質感は写真では伝わりにくいので、CAFORAの器は サンプル で確かめてみてください。
中世から続く窯の産地の全体像は 六古窯とは にまとめています。
よくある質問
Q. 穴窯と窖窯は同じものですか 同じものです。「あながま」と読み、「窖窯」とも書きます。
Q. 登り窯はいつ日本に入ってきましたか 日本大百科全書では、桃山時代の16世紀に、朝鮮半島渡来の技術を生かして唐津焼に初めて築かれたとされています。
Q. 美濃で最初の登り窯はどこですか 岐阜県の解説では、土岐市の元屋敷窯が、慶長年間に加藤景延が唐津で学んで美濃地方で初めて築いた窯と伝えられるとされています。
Q. 大窯と穴窯は違うものですか どちらも単室の窯です。美濃焼伝統工芸品協同組合は、室町時代後期(1500年頃)に築かれた単室の窯を「大窯」と呼んで説明しています。
まとめ
登り窯と穴窯の違いは、単室か、焼成室が連なるかです。穴窯は斜面に掘り抜いたひとつながりの窯、登り窯は部屋を階段状に連ね、下の部屋の熱で上の部屋を予熱する、熱効率のよい窯です。
美濃では、室町後期の単室の大窯から、桃山時代の連房式登窯へ移りました。土岐市の元屋敷陶器窯跡には、その両方が残っています。
窯の形は、器の表情と揃えやすさを決めてきました。揃いで使う器を選ぶなら、焼き方まで確かめてください。CAFORAのラテボウル 温 -ON-・拡 -KAKU- は、鋳込み成形で形を揃えて焼いています。

