Journal
食器のこと2026.09.16

古瀬戸とは|中世に国内で唯一、釉薬をかけた焼き物だった瀬戸窯

古瀬戸とは|中世に国内で唯一、釉薬をかけた焼き物だった瀬戸窯

瀬戸の歴史を読んでいると、必ず古瀬戸という言葉が出てきます。古い瀬戸焼、という意味に見えますが、それだけではありません。

古瀬戸は、中世の瀬戸窯で焼かれた施釉陶器——つまり釉薬をかけて焼いた器を指します。そしてこの時代、国内で釉薬をかけた焼き物を焼いていた産地は、瀬戸だけでした。

「釉薬をかける」は、いまの器では当たり前のことです。それが数百年前には一つの産地しかできなかったという事実は、瀬戸という産地の性格を理解するうえで外せません。この記事では日本六古窯の公式サイトと瀬戸市の資料をもとに整理します。

古瀬戸とは|中世の瀬戸窯が焼いた施釉陶器

日本六古窯 公式Webサイト(日本遺産)の瀬戸の解説では、鎌倉時代初期からは山茶碗と併せて、四耳壺・瓶子・水注を中心とした「古瀬戸」と呼ばれる新たな施釉陶器の生産が開始されますとされています。

そして産地の位置づけとして、瀬戸窯は、国内唯一の施釉陶器生産地として歩みはじめ、大型の壺や瓶類、仏花瓶・香炉といった宗教関係の器種を生産しましたと説明されています(出典:瀬戸焼の概要と歴史|日本六古窯 公式Webサイト)。

つまり古瀬戸とは、時代(中世)× 産地(瀬戸)× 技術(施釉)の3つが重なったものを指す言葉です。器の種類としては、最初は日常の食器というより壺・瓶・仏具が中心でした。

瀬戸市の資料でも、国の記念物(史跡)である小長曽陶器窯跡について、室町時代初めの14世紀末から15世紀初頭に「古瀬戸」と呼ばれる施釉陶器を生産した遺跡と説明されています(出典:瀬戸窯跡(小長曽陶器窯跡)|瀬戸市)。中世を通して、長く焼かれ続けた器だということが分かります。

なぜ「国内唯一」が意味を持つのか

同じ中世に焼かれていた他の産地——常滑・越前・信楽・丹波・備前は、いずれも釉薬をかけない焼き締めが中心でした。六古窯の全体像は 六古窯とは に整理しています。

焼き締めの器は、土と炎と灰が生む表情が魅力です。一方で、釉薬をかけると表面がガラス質の膜で覆われるため、水を通しにくくなり、汚れも入りにくくなります。この違いは、いまカフェで器を選ぶときの判断とそのまま同じです。釉薬の働きは 食器の釉薬とは に書きました。

中世の瀬戸が唯一それをやっていたということは、この産地が早い段階から「表面をどう仕上げるか」を技術の軸にしていたことを意味します。瀬戸焼全体の流れは 瀬戸焼とは にまとめています。

古瀬戸の変化|灰釉から鉄釉へ、宗教具から日用品へ

古瀬戸は、数百年のあいだ同じものを作り続けたわけではありません。日本六古窯の解説は、2つの変化を挙げています。

1つ目は、釉薬と装飾の変化です。 鎌倉時代の後期になると、灰釉に加え鉄釉を施すものが登場し、さらに印花文(スタンプ)・貼花文(貼りつけ)・画花文(ヘラ描き)などにより文様が施された、華やかなやきものが多く生産されましたとされています。

草木の灰からつくる灰釉については 灰釉とは で詳しく書きました。そこに鉄釉が加わることで、色の幅が広がります。

2つ目は、作るものの変化です。 解説では、明の海禁政策により、一時期中国陶磁器の輸入量が減少したことを受けて、日常生活用具の生産を進めていくことで受容層を広げたとされています。

ここは読み流したくないところです。輸入が止まったから、国内向けの日用品に舵を切った。 産地が何を作るかは、技術だけでなく、外の状況で決まっていきます。これは現代の器づくりでも変わりません。

なお、日本で陶器一般を指す「せともの」という言葉は、長い歴史のなかで、やきものづくりを牽引してきた瀬戸焼からきていますと同サイトは説明しています。中世に唯一の施釉陶器産地だったという事実は、この呼び名の背景の一つです。

古瀬戸が、いまの器選びに残しているもの

ここからは、器をつくる側としての話です。800年前の話が、今日の一杯にどうつながるのか。

1. 釉薬は装飾ではなく、機能でもある|古瀬戸が示しているのは、表面の仕上げが器の使い勝手を決めるということです。カフェの器で言えば、汚れの入りにくさ・洗いやすさ・匂い移りのしにくさが、ここで決まります。

2. 焼き締めと施釉は、優劣ではなく用途の違い|土の表情を見せたいなら焼き締め、毎日洗って使い倒すなら施釉。この選択は中世から変わっていません。素地と釉薬の関係は 瀬戸焼と美濃焼の違いとは でも触れています。

3. 産地は、作るものを時代に合わせて変えてきた|古瀬戸が宗教具から日用品へ移っていったように、瀬戸はずっと同じものを作り続けてきた産地ではありません。私たちが3D陶器プリンターで試作を回しながら瀬戸・美濃の工房で焼いているのも、その延長にあると考えています。伝統を守るためではなく、新しい体験を生み出すために受け継ぐ、という立場です。

古瀬戸のような中世の器そのものを店で使うことは現実的ではありませんが、釉薬の膜がどう仕上がっているかを確かめるのは、いまの器を選ぶときにもできます。CAFORAの器の表面と手ざわりは サンプル で確認できます。

よくある質問

Q. 古瀬戸とは何ですか 中世の瀬戸窯で焼かれた施釉陶器(釉薬をかけた焼き物)のことです。鎌倉時代初期から、四耳壺・瓶子・水注を中心に生産が始まったとされています。

Q. 古瀬戸と瀬戸焼は違うものですか 古瀬戸は瀬戸焼の歴史のなかの、中世の施釉陶器を指す呼び方です。別の産地の焼き物ではありません。

Q. なぜ古瀬戸は特別なのですか 日本六古窯の公式サイトでは、瀬戸窯が国内唯一の施釉陶器生産地として歩みはじめたと説明されています。中世に釉薬をかけた器を焼いていたのが瀬戸だけだったためです。

Q. 古瀬戸ではどんな器が作られていましたか はじめは大型の壺や瓶類、仏花瓶・香炉といった宗教関係の器種が中心で、のちに日常生活用具の生産が広がっていきました。

Q. 古瀬戸に鉄釉はいつから使われましたか 鎌倉時代の後期に、灰釉に加えて鉄釉を施すものが登場したとされています。

まとめ

古瀬戸とは、中世の瀬戸窯で焼かれた施釉陶器のことです。鎌倉時代初期に四耳壺・瓶子・水注といった器種から始まり、瀬戸窯は国内唯一の施釉陶器生産地として歩みはじめました。鎌倉後期には灰釉に鉄釉が加わり、印花文・貼花文・画花文などの装飾も現れます。

その後、中国陶磁の輸入減少を受けて日常生活用具へと広がっていきました。「せともの」という言葉が食器全般を指すようになった背景には、この積み重ねがあります。

器を選ぶ側にとっての要点は、釉薬は見た目だけでなく、使い勝手を決める機能でもあるということです。瀬戸・美濃で焼いたCAFORAのラテボウル 温 -ON-・拡 -KAKU- も、業務用食洗機・電子レンジに対応する前提で設計しています。

CAFORA