益子焼とは|厚手の器の特徴と歴史、カフェの器としての使い方
益子焼(ましこやき)は、手に取ったときの厚みと重みで覚えている人が多い器です。カフェでも、土の手触りを出したい店で選ばれることがよくあります。
先に要点を書きます。益子焼は、栃木県益子町を中心につくられる陶器です。江戸時代末期に窯が築かれ、かめ・すり鉢などの台所用品の産地として育ちました。昭和の初めに濱田庄司が移り住み、民芸運動とともに、いまの「食器の益子焼」が生まれています。
この記事では、益子町・益子焼協同組合・伝統的工芸品産業振興協会の公式ページの記述をもとに、益子焼の歴史と特徴を整理します。そのうえで、瀬戸と美濃で器を焼いている立場から、カフェの器として益子焼を使うときの判断軸をお伝えします。
益子焼とは:栃木県益子町を中心につくられる陶器
益子焼は、国の伝統的工芸品に指定されています。伝統的工芸品産業振興協会によれば、指定年月日は「昭和54年8月3日」、主な製造地域は「真岡市、芳賀郡益子町、市貝町、茂木町」です。
同協会は、益子焼の特徴をこう書いています。
落ち着いた艶のある素朴な焼き物です
そして、器の形について、こう続けます。
たっぷりとした厚手の器。長く使えば、使うほど手のひらで包むとじんわり暖かさが伝わってくる
「厚手」が公式の説明に入っていることが、益子焼を理解するうえでの出発点です。益子焼は土からつくる陶器で、石を砕いた原料からつくる磁器とは性格が違います。その違い——吸水、強度、口当たり、保温の仕方——は 陶器と磁器の違い にまとめました。
益子焼の歴史:台所用品の産地として始まった
益子町の公式サイトは、始まりをこう書いています。
益子焼は、江戸時代末期、笠間で修業した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われています。
益子焼協同組合は、年号まで具体的です。「嘉永6年(1853年)当時26歳だった大塚啓三郎が根古屋(益子町内の地名)に窯を築き、陶業を開始したのが今日の益子焼の始まりとされています」。
最初につくられていたのは、いまの食器ではありません。同組合は「当初は、半農半陶で昭和のはじめまで主として、かめ・すり鉢等台所用品を製造していました」としています。益子町の公式サイトも、益子が「優れた陶土を産出すること、大消費地東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶などの日用の道具の産地として発展」したと書いています。
伝統的工芸品産業振興協会によれば、初期の益子焼は「藩の援助を受けて日用品を焼いており、そうして作られたものは江戸の台所で使われていました」。益子焼は、最初から毎日使われる道具の産地だったということです。
濱田庄司と民芸運動:いまの益子焼が生まれるまで
益子焼が「食器の産地」になった転機は、昭和の初めにあります。益子町の公式サイトは、こう書いています。
1924年に濱田庄司がこの地に移住し、「用の美」に着目した柳宗悦らと共に民芸運動を進めるかたわら
そして、濱田庄司は地元の陶工たちに大きな影響を与え、益子焼は「『民芸品』としての側面ももつようになります」。
益子焼協同組合は、この流れをこうまとめています。
昭和初期に濱田庄司が、益子に定住開窯し、益子従来の原材料・技法を用い食器・花器等を製作し、その影響のもとに、若い陶芸家が次々と加わって、現在の益子焼が生まれました。
ここで大事なのは、「益子従来の原材料・技法を用い」という部分です。新しい土や技法を持ち込んだのではなく、台所用品をつくってきた土と技法のまま、食器と花器をつくった。日用の道具として鍛えられた器が、そのまま食卓に上がったという順番です。
いまの益子について、益子町の公式サイトは「若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です」としています。
益子焼の特徴:厚手の土と、糠白釉・柿釉
益子焼の見た目を決めているのは、土と釉薬です。伝統的工芸品産業振興協会は、技法と釉薬についてこう書いています。
- 技法:「白化粧、刷毛目(はけめ)等の伝統的な技法で力強い作品が大量に作り出されています」
- 釉薬:「柿釉や黒釉、藁(ワラ)の灰、木の灰、糠灰等を使った糠白釉(ぬかじろゆう)等により、独特の味わいを出しています」
益子焼協同組合が示す伝統的工芸品としての基準には、使う釉薬が「並白釉」「柿赤釉」「黒釉」「あめ釉」「糠白釉」「灰釉」または「糠青磁釉」と列挙されています。灰を使った釉薬が多いのが分かります。
灰から釉薬をつくる仕組みと、焼き方で色が変わる理由は 灰釉とは に、白い化粧土をかける技法は 粉引とは にまとめました。釉薬という層そのものの役割は 食器の釉薬とは で扱っています。
厚手の器をカフェで使うということ
私たちCAFORAは瀬戸と美濃で器を焼いています。器をつくる側から見ると、厚みは「重さ」と「温度」と「口当たり」を同時に動かすパラメータです。
- 温度:器が厚いと、器そのものが熱を蓄えます。最初に温めておけば冷めにくく、逆に冷えた器に注ぐと、最初に器が熱を奪います。厚手の器ほど、温めの工程が味に効きます。 詳しくは コーヒーが冷めにくいカップの条件 に書きました
- 重さ:手に取ったときの安心感になる一方、提供や洗浄では手首の負担になります。1日に何十回と持つ店では、ここは無視できません
- 口当たり:縁が厚いと、液体がやわらかく口に入ります。香りを立たせたい一杯なら、縁の薄い器のほうが合う場合もあります
どれが正しいということはなく、出したい一杯から逆算して決めるものです。厚みや重さは、写真では分かりません。CAFORAの器も、サンプル で実際に持って確かめられます。
カフェの器として益子焼を使うときの判断軸
1. 重さを実物で確かめる 厚手が特徴の産地なので、同じ容量でも重くなりがちです。提供と洗浄を1日何回するかを考えて、実物を持ってから決めてください。
2. 陶器としての扱いを確認する 陶器は磁器より水を吸いやすい素材です。使い始めの手入れや、長く使ったときの色の変化について、窯元や販売元の説明を確認しておくと安心です。素材ごとの性格は 食器の素材の種類 にまとめました。
3. 食洗機・電子レンジの可否は製品ごとに確認する 産地名では決まりません。作家ものと量産品では条件が違うこともあります。
4. 同じ品を買い足せるか 益子は作風が多種多様で、作家ごとの一点ものも多い産地です。割れたときに同じ形・同じ釉薬を追加できるかを、最初に聞いておいてください。日本の産地と素材の関係は 日本の焼き物の種類 に整理しています。
よくある質問
Q. 益子焼はいつから焼かれていますか 益子焼協同組合によれば、嘉永6年(1853年)に大塚啓三郎が根古屋(益子町内の地名)に窯を築いたのが今日の益子焼の始まりとされています。益子町の公式サイトも、江戸時代末期に笠間で修業した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まるとしています。
Q. 益子焼は陶器ですか、磁器ですか 陶器です。伝統的工芸品産業振興協会は、益子焼を「落ち着いた艶のある素朴な焼き物」「たっぷりとした厚手の器」と説明しています。
Q. 濱田庄司と益子焼の関係は何ですか 益子町の公式サイトによれば、濱田庄司は1924年に益子に移住し、柳宗悦らと民芸運動を進めながら地元の陶工たちに大きな影響を与えました。益子焼協同組合は、濱田庄司が益子従来の原材料・技法で食器・花器を制作し、その影響のもとに現在の益子焼が生まれたとしています。
Q. 益子焼の代表的な釉薬は何ですか 伝統的工芸品産業振興協会は、柿釉・黒釉と、藁の灰・木の灰・糠灰などを使った糠白釉を挙げています。
Q. 益子焼はカフェの業務用に使えますか 使えます。もともと日用の道具の産地です。ただし厚手で重くなりやすいので、提供と洗浄の回数を考えて実物で重さを確かめ、食洗機・電子レンジの可否は製品ごとに確認してください。
まとめ
益子焼とは、栃木県益子町を中心につくられる陶器です。嘉永6年(1853年)に大塚啓三郎が窯を築いたのが始まりとされ、昭和の初めまではかめ・すり鉢などの台所用品の産地でした。
1924年に移住した濱田庄司が、益子従来の土と技法で食器・花器をつくり、民芸運動とともに現在の益子焼が生まれました。特徴は、たっぷりとした厚手の器と、柿釉・黒釉・糠白釉などの釉薬、白化粧や刷毛目の技法です。
カフェの器として使うときは、重さ/陶器としての扱い/食洗機・電子レンジの可否/買い足せるかの4点で判断するのが確実です。
CAFORAは、瀬戸と美濃の技術のうえで、バリスタの理想から器を設計しています。益子焼の器と比べてみたくなったら、瀬戸・美濃で焼いたラテボウル、両手で包む 温 -ON- と、ラテアートを広く見せる 拡 -KAKU- もご覧ください。サンプルは1点から購入できます。

