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食器のこと2026.10.11

大谷焼とは|大甕と寝ろくろで知られる徳島の産地と器の選び方

大谷焼とは|大甕と寝ろくろで知られる徳島の産地と器の選び方

人の背丈ほどもある大きな甕を、ろくろで挽く。しかも一人がろくろの横に寝ころび、足で蹴って回す。徳島県の大谷焼には、そんな成形の方法が伝わっています。

先に要点を書きます。大谷焼とは、徳島県鳴門市(大麻町)で約200年前から焼かれてきた陶器です。始まりは1784年(天明4年)、信楽焼の職人を雇って陶器づくりを始めたことにあります。藍染めの染料をためる「藍甕(あいがめ)」づくりで発展し、大物の成形に使う「寝ろくろ」で知られています。2003年(平成15年)に国の伝統的工芸品に指定されました。

この記事では、伝統的工芸品産業振興協会の解説をもとに、大谷焼の成り立ちと特徴を整理します。そのうえで、瀬戸と美濃で器を焼いている立場から、カフェの器として大谷焼を見るときの判断軸をお伝えします。

大谷焼とは:四国を代表する陶器のひとつ

伝統的工芸品産業振興協会は、大谷焼を約200年前から焼き続けられている、四国を代表する陶器の一つと紹介しています。産地は徳島県鳴門市で、国の伝統的工芸品の指定は2003年9月10日です。

出典:大谷焼|伝統工芸 青山スクエア(伝統的工芸品産業振興協会)

同協会の解説から、大谷焼の基本を表にまとめます。

項目

内容

種類

陶器

産地

徳島県鳴門市

伝統的工芸品の指定

2003年(平成15年)9月10日

主な製品

酒器・かめ・鉢

原材料

萩原粘土・讃岐粘土・姫田粘土、またはこれらと同等の陶土

焼成

1,230℃

陶器と磁器の違いを先に押さえておきたい方は 陶器と磁器の違い をご覧ください。日本の産地全体の中での位置づけは 日本の焼き物の種類 で見取り図にしています。

大谷焼の歴史:磁器の失敗から、信楽の技術で始まった

大谷焼の歴史は、じつは磁器づくりの失敗から始まります。同協会の解説によれば、1780年(安永9年)に徳島藩が磁器の生産を始めましたが、地元で原料が手に入らず、短い期間で窯を閉じました。

その4年後の1784年(天明4年)、納田平次平衛が信楽焼の職人を雇い、陶器(民窯)の生産を始めます。これが大谷焼の創始とされ、当時の大谷村(現在の鳴門市大麻町)に登り窯が築かれました。

信楽の技術をもとに始まった産地は、ほかにもあります。茨城の笠間焼も、信楽の陶工の指導から始まりました(笠間焼とは)。出発点の信楽については 信楽焼とは にまとめています。

その後の製品は、時代ごとに変わってきました。同協会は、明治時代には藍甕、大正時代には戦時景気による需要があったことを挙げ、現在は大甕から日用雑器まで幅広くつくられていると書いています。

藍甕と寝ろくろ:大物の産地になった理由

大谷焼を語るうえで欠かせないのが、藍染めとのつながりです。徳島は藍染めの染料「蒅(すくも)」づくりの本場で、伝統的工芸品産業振興協会は、大谷焼も藍汁をためておく「藍甕」づくりで発展してきたと紹介しています。

出典:Japan blue 阿波の焼物 大谷焼|伝統工芸 青山スクエア

大きな甕をつくる技術として有名なのが寝ろくろです。同協会の説明では、二人一組になり、一人が成形を担当し、もう一人が寝ころんで足で蹴ってろくろを回します。身の丈ほどもある甕や睡蓮鉢は、こうして成形されてきました。それを焼く登り窯の大きさは「日本一とも評されています」と同協会は書いています。

登り窯という窯の形については 登り窯と穴窯の違い で解説しています。

一方で、大物だけの産地ではありません。同協会は、酒器は精巧なろくろ技術により、非常に薄手でありながら丈夫であることを特色に挙げています。大甕と薄手の酒器。ろくろの技術が、その両端を支えているということです。

器の厚みや重さは、写真ではまったく分かりません。 CAFORAの器も、サンプル で実際の重さと口当たりを確かめられます。

大谷焼のつくり方:土・釉薬・焼成

同協会の解説から、大谷焼の製法を見ていきます。

土づくりには、水簸(すいひ:水に溶かして細かい粒を分ける)を行う湿式と、行わない乾式があります。主な工程は、粉砕・篩(ふるい)・水簸・土練・成形・乾燥・施釉・窯詰・焼成・検品で、多くが手作業です。

釉薬は、姫田粘土・石灰・土灰・長石・珪石・鉄を調合したもので、かけ方は浸し掛けか流し掛けです。釉薬のかけ方の違いは 施釉とは に、土灰のような灰を使った釉薬については 灰釉とは にまとめています。

焼成は1,230℃です。私たちが器を焼いている瀬戸・美濃でも、陶器はおおむねこの温度帯で焼き上げます。釉薬に鉄が入っていることから、焼き方によって色の出方が変わる点も、瀬戸・美濃の釉薬と共通しています。

カフェの器として大谷焼を見るときの判断軸

私たちCAFORAは瀬戸と美濃で器を焼いています。つくる側から見ると、大谷焼は「ろくろの技術と、土と鉄の釉薬の表情で選ぶ産地」です。業務用に使うときは、次の4つを分けて考えると選びやすくなります。

1. 大物の産地か、日用の器かを見分ける 大谷焼の名前で知られているのは甕や睡蓮鉢です。カフェで使うのは鉢・皿・カップなどの日用の器なので、窯元が日用雑器をどれくらいつくっているかを確かめてください。

2. 薄手の器は縁を確かめる 同協会は、薄手でありながら丈夫な酒器を特色に挙げています。それでも業務用では、洗い場で重ねたときに縁が当たります。縁の厚みと、店の洗い方を照らし合わせてください。

3. 釉薬の表情とドリンクの色を合わせる 鉄を含む釉薬は、色や光沢の出方に幅があります。ラテの白や抹茶の緑と並べたときにどう見えるかを、実物で確かめるのが確実です。

4. 扱いの条件は製品ごとに確認する 陶器は製品によって吸水性が違い、電子レンジ・食洗機の可否も産地名では決まりません。毎日洗う業務用では、最初に確認しておきたい項目です。

四国のもうひとつの産地、愛媛の砥部焼は厚手の白磁が特徴で、大谷焼とは対照的です(砥部焼とは)。

よくある質問

Q. 大谷焼はどこでつくられていますか 徳島県鳴門市です。伝統的工芸品産業振興協会によれば、始まりの登り窯は大谷村(現在の鳴門市大麻町)に築かれました。

Q. 大谷焼はいつ始まりましたか 同協会は、1784年(天明4年)に納田平次平衛が信楽焼の職人を雇い、陶器の生産を始めたことを創始としています。その前の1780年には徳島藩が磁器の生産を試みましたが、原料が手に入らず短期間で閉窯しています。

Q. 大谷焼は陶器ですか、磁器ですか 陶器です。磁器の生産は一度試みられましたが続かず、陶器の産地として育ちました。

Q. 寝ろくろとは何ですか 二人一組で行うろくろの成形です。一人が成形を担当し、もう一人が寝ころんで足で蹴ってろくろを回します。身の丈ほどもある甕や睡蓮鉢の成形に使われてきました。

Q. 大谷焼と藍染めはどう関係しますか 徳島は藍染めの染料「蒅」づくりの本場で、大谷焼は藍汁をためる「藍甕」づくりで発展しました。

Q. 大谷焼はカフェの業務用に使えますか 使えます。ただし、大物と日用の器では窯元の得意分野が違い、扱いの条件も製品ごとに違います。縁の厚み・釉薬の表情・電子レンジや食洗機の可否を確認してください。

まとめ

大谷焼とは、徳島県鳴門市で約200年前から焼かれてきた陶器です。1784年に信楽焼の職人を雇って始まり、藍染めの藍甕づくりで発展しました。

特徴は、二人一組の寝ろくろで成形する大甕と、精巧なろくろで挽く薄手で丈夫な酒器。ろくろの技術が大物と小物の両方を支えています。

カフェで使うなら、日用の器をつくる窯元か・縁の厚み・釉薬の表情・扱いの条件を、実物で確かめるのが確実です。

CAFORAは、瀬戸と美濃の技術のうえで、バリスタの理想から器を設計しています。大谷焼の器と比べてみたくなったら、瀬戸・美濃で焼いたラテボウル、両手で包む 温 -ON- と、ラテアートを広く見せる 拡 -KAKU- もご覧ください。サンプルは1点から購入できます。

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